退転馬の増加

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 前にもふれたように(第三章第三節)宿駅制の主目的は公用の通行・通信を確実に低廉に行なうことにあったので、幕府や藩は宿駅に対して保護助成をした。しかし、増大する交通量に対する人馬役は宿駅住民の負担能力をこえる場合が多く、宿駅財政は苦しかった。浜松宿財政も早くから困窮の度を増して宿馬(伝馬)の退転がいちじるしくなった。
 万治三年から寛文七年までの八年間について、伝馬百疋の増減をみると、二一一ぺージの表のように有馬数が非常に減少したときは拝借金や駄賃の増額によって、馬の買立を行なっているが、それでもなお年々退転馬は増加し、この八年間に退転馬四十三疋を出し、残り五十七疋の有馬で伝馬役を勤めるという状態になった。歩役方の馬五十五疋の場合についても同様に多くの退転馬を出し、年々退転馬三十一疋、残りの有馬は二十四疋になった。

天保十四年敷智郡入野村助郷歎願書前部


天保十四年敷智郡入野村助郷歎願書後部

年次伝馬100疋の増減
有馬(疋)退転馬(疋)
万治315 
寛文元73拝借金を以って馬買立
〃2689
〃3595
〃45417
〃537駄賃増額により馬買立
〃6712
〃76912

年次歩役方馬55疋の増減
有馬(疋)退転馬(疋)
万治325拝借金を以って馬買立
寛文元402
〃2382
〃3363
〃4338
〃525駄賃増額により馬買立
〃6353
〃7328