助郷村との紛争

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 宿場の困窮の影響は、ただちに助郷村へおよんでくる。宿の有馬が減少するにしたがって、助郷人馬が年中おびただしく触れ出されるようになり、宿と助郷村とのあいだに紛争が起こり、三十余年の長い期間にわたって出入が続いたこともあった。【宿馬の疲弊】助郷村の方でも凶作や物価高のため、その期間中に助馬の約三分の二が退転するという始末で、宿方への雇馬も不自由となり、こういった助郷村の事情が宿場へはねかえり、宿馬の疲弊に一段と拍車をかける結果となった。
 このように浜松宿が困窮し、通行の多い時など、問屋場には馬が一匹も残っておらず、から明きになることがしばしばあった。そこで天明末年には問屋会所を一か所に定めることになった。