各町の夫役

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 【伝馬役】伝馬役 伝馬・塩・田・旅籠・肴・連尺のいわゆる御役六町。伝馬役に奉仕するので地子は免許されていた。
 【馬込橋役】馬込橋役 御役六町と成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・利(とぎ)・紺屋・名残の町々および馬込村を合わせて十八町一か村。掛替や修覆にあたる。
 【大工役】馬込橋大工役 大工町の一町。掛替・修覆のとき大工職人を出す。
 【普請役】新道土橋並道普請役 伝馬・肴・神明・連尺・鍛冶・利・紺屋の七町。新道土橋は柳橋(やなぎばし)といい新川(しんかわ)に架けられた橋のこと。道はこの橋に通ずる道である。
 【高札役】高札場普請役 御役六町。出火のときは大工町から人夫が出て御役町の庄屋が立合いで取りはずす。高札(立札)は庶民の間に法令を徹底させるために設けたものである。浜松では連尺町大手筋に一か所あって、天保年間には親子兄弟夫婦は親しくし家業を励めという道徳を示したものをはじめ切支丹宗門・火付・似せ金銀など使用(以上正徳元年五月発布)。徒党を結ぶことを禁止(明和七年四月発布)した五種類が掲示されていた(なおその場所を札木といった。いま篠原町などに札木という地名が残っているのは、みな高札場の跡で、高札場は谷村に一か所ずつあった)。
 【鳥葺役】城内鳥葺役 連尺町の一町。城内の屋根の修理にあたる。
 【東番所役】馬込御番所(東木戸)修覆役 新町と馬込村の一部。
 【西番所役】成子坂御番所(西木戸)修覆役 成子坂と本魚の二町。
 【川浚役】川柵修覆役 平田町を流れる川の浚役 平田町の一町。
 【橋修覆役】橋修覆役 二十四町の中には板橋が二十三と土橋十一の合わせて三十四の橋(馬込橋は除外)があったが、この修覆・掛替役は隣接の町が勤めることになっていた。たとえば、高欄橋(新川にかかり万年橋ともいう)は田町・板屋町で、鯉沢橋は大工町・本魚町という具合であった。この場合城主からその費用や資材の補助があった。
 【道掃除役】往還通掃除役 往還通の道筋に属する町々で清掃する。
 【火消役】火消役 火事はしばしば起きた。たとえば明和九年(一七七二)二月十二日に紺屋町から出火して連尺町・神明町・田町・板屋町方面まで延焼するという大火があった(「糀屋記録」『浜松市史史料編一』)。このように城内や町屋が火災の場合は、二十四町の火消人夫がすべて火消道具を持って火事場へ集合し町奉行の指揮のもとに消火にあたることになっていた。その詳細についてはわからないが、宇布見村では「人足三分一鳶口、三分二水籠」を持ち村名入の高張提灯や幟をかかげて消火に従事した(「万年帳」『雄踏町誌資料編一』)とあることから大体の想像ができる。
夜は暗かったので、町通りの枢要な個所、たとえば、連尺町の高札場とか伝馬町の問屋場付近、神明坂下・紺屋坂下などの町の辻々には夜燈があって道しるべの役もなしていた。
 【茶壺助役】茶壺通行助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・利・紺屋・名残の十二町。
 【助人足役】急通行輻湊助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・平田・本魚・紺屋の十一町。ただし七軒町・上新町は勅額通行のときはじめて助人足を出したことがある。
 
年号記事
寛文5.2.6(1665)火元鴨江尊珠寺浅野源兵衛宅
5.2.7 鴨江二諦坊火事
5.12.6 二の丸会所火事
延宝8.10.25(1680)天神町火事
貞享3.2(1686)下垂町年行事屋敷火事
元禄4.1.15(1691)下新町火事
6.1.15(1693)城内家中屋敷火事火元石川監物宅
6.9.11 板屋町火事4軒焼失
7.11.29 上新町七軒町全焼
13.2.11 城内家中屋敷火事
宝永3.9.8(1706)城内家中屋敷火事火元浅野半太夫宅
正徳2.3.22(1712)本魚町裏山奉行水越新左衛門宅火事
享保5.3.28(1720)火元利町平六
5.4.18 法林寺火事
5.11.16 伝馬町火事火元杉浦彦右衛門宅
   このころ火事あり肴町下・鍛冶町・後道・平田町,70軒余焼失
11.8 甚教院火事
12.12.19 天神町火事火元酒屋半六
12.12.28 篠原村茶屋通火事
16(1731)玄忠寺火事
延享4.1.29(1747)村櫛村火事102軒焼失大沢家家老真瀬八太夫町割をする
明和8.1.19(1771)心造寺火事
9.2.12(1772)紺屋町・連尺町・神明町・田町・板屋町火事
安永6.11.14(1777)篠原村火事
4.4.16(1784)鍛冶町浄鏡院火事
天明7(1787)新豊院火事
寛政9.11(1797)天林寺火事
文化5(1808)笠井市中組下組火事
文政2(1819)笠井市下組火事
天保6.11.12(1835)鍛冶町より出火伝馬町へおよぶ
11(1840)笠井市下組火事,西来院火事
弘化4.12.12(1847)紺屋町より出火榎町・神明・田町・連尺・肴町・伝馬町後道におよぶ火元清水屋大安寺焼失
(『旅籠町平右衛門記録』その他より)