ここで農村居住の職人について代表的なものを述べておく。【屋根屋】前掲の宝暦年間の諸職表では浜松藩のいわゆる十職のうち、四十六軒の屋根屋はその約半数が無役であり、また江川村(十二軒)・四本松村(二十七軒)など浜松東南部の海岸近くの村々に集中していることが特色である。これについては同地方の萱場地開発との関連も考えられる(「青山御領分絵図」参照)。
【御用職人 無役職人】享保四年(一七一九)の浜松領内国領組五十三か村についてみると、大工三十七名・畳屋二名・木挽十一名・鍛冶七名・桶師四名・紺屋十四名がそれぞれいくつかの村に居住し、浜松城下町在住の職人と同様に藩主の御用を勤める者と「御役勤め申さず」という無役職人とに分かれていた。無役職人は大工・鍛冶に多く大工では北嶋村の九人、永嶋村の五人が多い方であり、また鍛冶は薬師新田(三人)・長命・笠井・高薗の四か村に限られ、これらの村鍛冶が生産した農具が当地方で使用されたと考えられる。紺屋十四人の内訳は高薗村四人、長瀬村三人、長命村三人、松木嶋村二人、三家村一人、笠井村一人となっており、藍作・木綿作の発達した当地方で彼らが藍染めに従事したのである。