また文化二年(一八〇五)二月には、肴町商人と西嶋村漁民とのあいだに訴訟事件がおきている。肴町側の言い分は六右衛門船が獲た魚を掛塚村へ売るので、江之嶋・福嶋・松嶋村の船もこれをみならうし、中には抜き買いをするものもある、これは肴町商人の特権をないがしろにするものである、というのである。しかし西嶋村は、六右衛門船はもちろん近村の漁船でもそのようなことはしていない。「あるまじき儀」を申したてられるのは迷惑である。それに魚類は昔から値段の高い方へ売りさばくのがしきたりで、肴町の言い分をきけば年貢や運上が納められない、と反ばくを加えている。この紛争の結着は明らかではない。特権も時代の流れに抗することはむずかしかったのである。