【塩町由来】塩 塩町は、はじめは肴町と同様に浜松城付近にあったが、のちに伝馬町の南へ移転し、塩市場があり、毎月二・五・八・十・十二・十五・十八・二十・二十二・二十五・二十八の日に市がたっていた。この塩も塩町に限り専売権が付与されていたという。その理由ははっきりしないが、言い伝えによると、徳川・武田両軍の激戦に徳川勢が敗退し、家康は逃げる途中で塩売りの者に遭い、その者の蓑笠(みのかさ)を借りて着用し、敵の眼をさけて無事城中にはいることができた。その後、その塩売りは城下の町民であったことがわかり、恩賞としてその者の居住する塩町一町を限って塩専売を許し、天竜川以西をその区域と定めたという。