倉松新田

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 【海沿新田】倉松新田 遠州灘沿岸の砂丘地帯にあって海沿新田の好例である。ここでは親村の倉松が内方の平野面にあって農業を営み、その子村である倉松新田は南の海岸の方向に発達して漁業化の傾向をもっていた。倉松村下位家の過去帳によると「正徳六年(一七一六)丙申、下位彦兵衛・茂右衛門が南浜沿芝地を切開き、ここに新田を開発す」とある。【親村 子村 孫村】一口に倉松新田というが、これは浜蔵新田・野分新田・沖新田・沖新新田の総称で、その関係は倉松が親村、沖新田は子村、沖新新田は孫村で、浜蔵・野分新田は沖新田の姉妹村である。慶応三年(一八六〇)「倉松村本田新田高明細帳」によって本田と新田の田畑反別石高を表示すると上表のようになる。
 倉松では本田から新田が派生したため両者の関係はとくに密接で、山村・中村・水野・下位の各姓では本田・新田のあいだに親戚関係を保ち、戸数の大部分はこの姓を占めているという状態である。
 【漁業化】つぎにこの新田の漁業化についてみると、今はすっかりさびれたが、慶応元年の村入用帳に「六月 山崎村渡船 新居宿渡船 船四艘入用、十一月 山崎村渡船 船入用」とあって東海道大通行の渡海のために助船を供出していることからでも相当の漁業を行なっていたことが知られる。
 
本田新田
反別石高反別石高反別石高
 町反畝歩町反畝歩町反畝歩
倉松村(本田)658.0150.784600.1836.5671258.0987.351
浜蔵新田616.2144.095547.2919.9121364.2164.107
野分新田702.2434.008436.1619.0541139.1053.062
沖新田847.2627.828427.2112.8311275.1740.657
沖新新田762.0731.311505.2419.4001268.0150.721