報徳社と新田

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 幕末(弘化四年)に二宮尊徳の門人安居院義道(庄七)の勧奨によって、下石田村の神谷与平治が中心となって報徳社が結成され、遠州における報徳社運動の先駆となった。
 【万人講】遠州の万人講(後述)は報徳社中が世話人となって発達したのであるが、文久二年の「万人講永代太々神楽金元立仕法帳」によると、元立金の出資者は二宿(気賀三十両で最高、浜松二十両)三町三十二か村(下石田・上石田・倉真・平田の各村が十五両ずつでもっとも多い)で、元金の利子(年八分)を永代神楽金に充てることになっているが、とくに元金の貸付についてはこれを新田開発の趣意で取り扱い、その外の取り扱いは深く勘考することと規定している点が注目される。