【延宝期】延宝八年(一六八〇)八月六日には遠州灘海岸に大潮があり(福島町『山田家文書』)、浜名湖岸にもしばしば高潮による被害があった。【明和期】明和九年(安永元年、一七七二)八月二日、宇布見村では本家三百軒が潰れ(「浅羽嶋家資料」『雄踏町誌資料編二』)、安政二年(一八五五)大沢領庄内地方には六月一日・四日・十九日にわたり四尺ないし五尺の高潮に川崖堤が破損し、さらに七月十五日につづく二十六日は「風荒く高汐七尺も登る、古今稀なる高汐」であったばかりでなく八月二十日には八尺に達した。堀江村松助は「当家かまちの半分頃までつき申し候、同夜七ッ時頃に汐ひく。西風荒く所々土蔵又小家等数多流れ申し候」とし「大違作」であった、とその手記『年代宝蔵記』に記している。