宝永の地震

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 地震では宝永と安政の地震の被害が大きい。
 宝永地震は宝永四年(一七〇七)十月四日昼八ッ時(午後二時)で、浜松城下では潰家七十一軒・半潰二十八軒・大破五十二軒・小破四十八軒、合計二百軒ほどの被害があった。領主松平豊後守資俊は御救米子三百七十四俵を放出し救済にあたっている。津浪(つなみ)のため今切渡船が杜絶し東海道往復の旅客は姫街道筋に奪われ浜松宿が困窮したことはすでに述べた。宇布見村では田畑干余石が荒地となり塩高四百七十石余の塩浜は「海同様」になったという(「宇布見中村家資料」『雄踏町誌資料編一』)。