安政地震

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 安政地震は嘉永七年(安政元年、一八五四)十一月四日と翌二年九月二十八日と二回あった。嘉永七年十一月四日朝五ッ半(午前九時ごろ)の地震は入野村では倒壊三十二軒死者一名を出し、翌五日夕七ッ過(午後四時)には津浪襲来の噂が立って浜松・伊場・入野方面では裏山に避難し夜を明かすものも少なくなかったという。ついで安政二年九月二十八日暮六ッ時(午後六時)におきた地震は米津村では倒壊二十七軒、浜松町内では寺院の本堂・庫裏(くり)が六か寺と門が二か寺倒壊したり、町屋で七軒と侍屋敷では大堀長屋(当市栄町)も破損し即死二名の被害があった。白羽村・中田嶋村方面では地面に生じた亀裂から噴出した泥水のため脛まで没したという(『変化抄』)。