高塚川の川論

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 川論については、元禄四年(一六九一)十一月に起こった高塚村と小沢渡・新橋・増楽・若林の四か村との高塚川をめぐる川論は水産資源争奪の問題として興味がふかい。高塚村の言分は、高塚川は従前から同村の支配するところで川年貢も納めているというのに対し、四か村側の言分は、この川は古くから田地境を川境に用い、小沢渡・新橋の両村は高塚村と川の中央をもって限り漁猟を一同で行ない、増楽・若林の両村は藻草のみを採取してきた、そして漁猟をしていた村は網役一石七斗余の高であった、というのであった。ところが検分の結果、四か村の主張する地付の証拠は一つもなく、また小網高はあっても漁猟場所が明らかでなく、これもこの川で漁猟していたという証拠にはなりがたい。これに反して高塚村は川運上の証文を所持している。【藻草入会】そのような理由から、今後は高塚村の一村が漁猟をすることになり、小沢渡・新橋の両村はこの川の漁猟は禁じられ、またこの川が小沢渡など四か村の田地に入り込んでいるので、その肥料にするための藻草の採取は五か村共同の入会となったのである。