遠州灘海岸

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 遠州灘沿岸や浜名湖岸には農業の期間を縫って漁猟を営む半農半漁の村々が存在していた。『遠江国風土記伝』は「米津 漁猟場」とあり「自向宿・福地・上中嶋・馬領家・三嶋・楊子・瓜内・寺脇・白羽・中田嶋以下福塚までの十一ヶ村は捕海物為産業」として遠州灘沿岸の漁村をあげ、「自舞坂迄堀江、海辺二十七村、謂是東海別也、苅藻養田、凡海浜之郷村、焼塩採藻漁猟恒産也、捕須々枳・鰡・鰺・古知・佐与利・鎮仁(チニ)・蛤・蜆」と浜名湖岸の漁村について記述している。また『東海道宿村大概帳』の舞坂宿をみると「此宿海(遠州灘)にて鰺・鯖・こち・ひらめ」などを産し「浜松・吉田等都而近在江売出し候由」とあって、遠州灘沿岸や浜名湖岸の漁獲物が浜松の人々の食膳をにぎわしていたことがわかる。