浜名湖畔

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 浜名湖畔では古くから湖面漁業が行なわれていた(「三浦文書」『湖西の文化』第十四号)。しかし浜名湖は今切関所をおくほどの交通の要地であったから、関所より許可手形を受ける必要があった(「鳥浦」参照)。
 【内浦禁漁区】大沢領堀江村の内浦(浜名湖支湾)は禁猟区であったが、宝暦十二年(一七六二)十二月堀江漁民が「定法に背き」鯐(すばしり)(餾(ぼら)の幼魚)を採ったかどで、大沢家家老真瀬九太夫に詫状を入れている(舘山寺町『山崎文書』)。
 川猟場として都田川・佐鳴池(佐鳴湖)・高塚川(前述)などがあった。