海苔の養殖は、文政二年(一八一九)ごろ舞坂宿に泊った信州あらゐ村の森田屋彦之丞と大森の三次郎の二人が製法を伝授したのがはじまりで、彦之丞はその発案者、三次郎はかつて大森に住み海苔の製法にくわしい技術者であった(『変化抄』)。養殖には今切関所の認可手形が必要であった。『広益国産考』にも「近年遠州舞坂の海に、大森同様に遠浅の所へならの麁朶(そだ)をさし、海藻を付る事を覚え、取りて製し、諸国にも売り、京大坂へ送るよし、一ヶ年に三千両の金子を収納するよしにて、舞坂の産物となれり」とある。
舞坂海苔