作付面積の増加

284 ~ 285 / 686ページ
 作付面積も年々増加していった。浜松の東北にあたる下堀村は天王村の分村で、高三百六十五石・家数二十軒・人口百八十三人の村(『国領組諸色覚帳』)であるが、畑作のうち綿の作付面積を年代順に比較すると別表のとおりで、文化十三年には八四%に達している(天王町『竹山文書』)。また有玉下村では、天保四年(一八三三)には畑二十五町四段一畝十五歩のうち綿の作付面積は十九町六段九畝二十二歩と七七%におよんでいる。池田村十太夫が駿州島田宿権蔵とともに「遠州壱ヶ国綿実問屋」を立てようと請願したのもこのころであったろう(福島町『山田家文書』)。
 
年代木綿作付面積大豆諸作畑総面積百分比
延享4(1747)692畝3歩   
安永4(1775)878.12397.24(諸作とも)1275.20  
文化13(1816)1059.9147.1561.141268.884