木綿布が商品として売買された記録は「如前々くじらさしにて幅九寸丈け弐丈六尺織出売買可致候」とした浜松藩の触書がもっとも古い。これは元禄十五年(一七〇二)から享保八年(一七二三)まで在任した松平伯耆守資俊の代に出されたもので、これによるとすでにこの時代には製品に不揃いのものが現われたので、これを規正する必要があったものと見える。【遠州木綿】『浜松市史』(大正十五年発行)には、古老の言として「享保年間浜松市場に遠州木綿現はれると言えば、其の以前既に商品に供せられたるを知るべし」とある。なお前述の触書はなかなか実行されなかったらしく宝暦十年(一七六〇)にも「御領分村々ニ而織り出候もの、自今幅尺御定之通ニ御改売買いたし候様」と再度の規正をしている(「伊場村御用書留帳」『浜松市史史料編四』)。