木舟村の木俣家は和泉屋と称し、『永代帳』という帳面を現在残している。寛政十一年(一七九九)から天保六年(一八三五)まで三十七年間の手控えで、いわゆる大福帳に類するものであるが、これをみると同家が付近の農家とひろく綿関係の製品の取引をしていたことが知られるばかりでなく、その取引先も長上郡平口・高畑・沼・横須賀・東美薗・西美薗・小林・寺嶋・小松・道本・油一色・万斛・橋詰・笠井・西ケ崎、豊田郡中瀬・蟹沢・二俣、麁玉郡新原・宮口の各村におよび、いわゆる中郡を中心とする広範囲に達していることがわかる。【笠井市】そして集荷した製品は多く笠井市で販売されたらしいことは『永代帳』に「かさい」とあり、「一弐百文 市にて藤右衛門御子息へ渡」などという記事があることによって推察される。なお藤右衛門の子息に二百文を払った意味はよくわからないが、当時は仲買人が各戸をたずねて「軒端商(のきばあきない)」をして綿関係の品を買い集め市へ持参することも、また農家各自が直接に市で販売することもあったので、おそらくそのような商行為が行なわれたのであろう。【市機】当時農家で笠井市へ販売用として布を織ることをとくに「市機(いちはた)」とよんだという。
和泉屋永代帳(浜松市広沢 木俣博雅氏蔵)