織物と女性

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 【小山みい】小山みい(大正十五年発行の『浜松市史』には小山みをとある)は本郷村寺田惣七の女で、文政四年(一八二一)に生まれ、天保十一年上中嶋村の小山家に嫁した。生来器用で嘉永年間自らも賃機をしながら織機を自宅に置いて付近の子女にも教え、また取引も行なったといわれる。明治二十五年(一八九二)十二月九日七十二歳で没した。市内神立町蒲神明宮には明治三十三年遠州機業家団体の永隆社がみいの遺徳顕彰のため寄進した石灯寵二基が現存している。
 【木俣くら】またさきに述べた木舟村の和泉屋の妻女木俣くら(『遠州織物を語る』がはじめて紹介している)は、天保十五年(一八四四)万斛村袴田次郎太夫家に生まれ、安政四年十四歳で和泉屋に嫁した。木舟地方に十反引きの技術を普及したのはこのくら女だという。十反引きとは十反をつづいて織る方法で、すでに天保十五年浜松に居住した大蔵永常が『広益国産考』にその方法を詳しく説いている。大正八年(一九一九)十二月二十六日に七十六歳で亡くなった。
 小山みい・木俣くらはいずれも遠州木綿織物史にその名を遺す人たちであるが、その発展のかげには幾多の無名の女性たちの汗と涙がにじんでいたことを忘れてはならないだろう。

小山みい頌徳石灯籠(浜松市 蒲神明宮)