皆畑地帯と笠井

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 笠井市(かさいいち)の開かれた笠井村は戸数百十二軒(本百姓七十六軒、水呑三十六軒)高四百二石、それも「皆畑」の農村であったが(『国領組諸色覚帳』)、浜松東北部のゆたかな平野の中央に位し交通も至便な地にあって市を設けるのにふさわしい位置を占めていた(「文政九年笠井村明細帳」によると、本百姓百二十八軒 水呑二十七軒 人口六百五十三人となっている)。この村に市が開かれ『遠江国風土記伝』に記すように「肆を連ねて市を為」したのは、慶安年間(一六四八-一六五一)以前にさかのぼるという(笠井町『川島文書』)。