市の内争

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 紛争といえば、笠井市の内部においてもしばしば生じている。これは上・中・下組の利害が互に反するために惹起したもので、嘉永二年(一八四九)の下組一同が領主宛に出した書上書によると、【火災】下組は文化五年に中組とともに焼けて打撃を受けたところへ文政二年・天保十一年と連続三回の火災にあった。ようやく貸店その他市野からの助成で「田地を相続渡世」してきたが、新しく家作をしなければ「市場之益」が得られないので難渋途方にくれている。【他村の進出】しかもこの家作は容易でないところへ近年は「他村」の者まで下組の「大道筋」の村境へ家作をして「市場同様」に商いをするようになった。これでは下組はとても立ちゆくことができない。ついては今後は従前のお定めどおりに店借・軒端・大道商ともに上・中・下組が三か所で市日隔番に取引するように仰せつけられたい、といっている。これによると、このころには、笠井村に隣接して市を開く者があったり、また市日も規定どおりでなくなって「古門」の権威もようやく地に落ちつつあったことがわかる。【新興商人の台頭】しかし、その反面にこの笠井市を基盤として新興の商人が成長しつつあった。後日浜松へ移り御用達となった池田庄三郎もその一人であった。
 
(表)明治5年笠井町(上町)職業構成(田辺寛司調査)
太物1塗物1
太物質商1紙類2
古着7金物1
古着質商1ろうそく1
古着太物1旅籠1
紙類古着11
綿打1穀類3
足袋2菓子2
荒物1煮売5
桶屋2豆腐1
12
1青物1
小間物1そば屋1
荒物質商2居酒屋11
218
大工1日雇稼その他10
髮結188