水野氏の出自

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 歴代浜松藩主のうち、もっとも異彩を放つのは幕閣にあって天保改革を推進した水野忠邦(ただくに)である。
 水野氏の本国は三河で始祖は忠元といい(家康の生母於大(おだい)は忠元の叔母にあたる)元和五年下総山川城三万石に封ぜられ大名となり、忠元の子忠善のとき駿河田中城・三河吉田城主から岡崎城主となり、その子忠春より忠盈(ただみつ)・忠之(ただゆき)・忠輝(ただてる)・忠辰(ただとき)・忠任(ただとう)とうけ、忠任の代に肥前唐津に転封となった。忠任・忠鼎(ただかね)とつぎ、そのあとが忠光(ただあきら)で、十一代忠邦はその世子(せいし)であった。