浜松移封

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 忠邦が実収二十万石といわれた唐津六万石からわざわざ実入りのすくない浜松六万石を希望したのは、唐津藩主には長崎警固の大任があって出世も容易でない、これに比して浜松は代々譜代大名の城地で藩主の中には老中まで昇進するものもあった。忠邦が老臣たちの猛反対をしりぞけて三十余年の墳墓の地を去り、あえて浜松入りをしたのは中央政界進出の機会をねらうためであったという。