【浜松入城】記録によると、文政八年大坂城代に赴任の途次浜松入りをし九月十四日から十七日まで逗留し十八日に出発している。【引馬野 天竜川】このとき天神町村(当市天神町)より馬乗して浜松宿に入り十六日は引馬野(三方原)を見学、天竜川口を巡見している。家臣は伝馬・連尺・神明(しんめい)の旅宿七十軒に分宿し、出発当日は宿役人が白須賀宿まで見送っている。つづいて翌九年十一月、江戸へ下る途中に十三日浜松入城をしている。文政十年正月二十五日浜松ヘ一泊、同年四月に領民は五社・諏訪・八幡宮(当市八幡町)・秋葉社などに領主忠邦の老中昇任を祈願している。さらに同十一年十一月西丸老中として京都から江戸へ下る途すがらの十四日、浜松本陣に立ちよっている。翌十二年正月には上京の途次杉浦本陣に休憩し、また二月に下向、二十二日に着城し「きさらぎばかり引馬城に来いりたる日よめる」として「旅衣たちかさねつゝ花よりもなほまたれしは今日にさりける」(浜松市立図書館蔵)と詠んでいる。【佐鳴湖】二十三日入野村竹村又右衛門宅で雅楽催馬楽(さいばら)のもてなしを受け、佐鳴浦(佐鳴湖)で舟遊びをしている(『高林家文書』)。