知行経過

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 水野氏当時の浜松藩の知行地については第四章第三節に触れたが、それまでの経過をのべると、大坂城代になった翌文政九年正月に大坂在勤中の役知として摂津・河内・播磨の代官支配地および大名預所において一万五千石余が与えられ、その代わりに浜松城付領の長上(ながかみ)・豊田(とよだ)二郡と山名(やまな)郡のうち一万五千石余が上知されている。しかし、西丸老中に昇進すると同十三年(天保元年、一八三〇)閏(うるう)三月に前述の大坂在勤中の役知一万五千石余が収公され、その代わりに浜松城付領の一万五千石余は還付されている。ついで翌天保二年十月には浜松城付領のうち城東(きとう)・榛原(はいばら)両郡の村々六千六百九十石余が豊田・山名両郡のうちに替地を命ぜられた。そして同十年一万石の加増をうけた(この五月領内庄屋は加増祝二百疋を拝領している)。その詳細は知行目録(東京都立大学蔵『水野家文書』)によると次表のとおりであった。

水野藩知行目録(東京都立大学蔵)