目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第二節 浜松藩の財政窮乏と農村の疲弊
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収奪にあえぐ浜松領
上納金
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水野藩が用いた手段に御用金とか調達金の上納があった。たとえば天保元年に新しく課した調達金は三千六百両であったが、翌二年には六千百五十両と倍増近くなっている。しかもこの年は不作で天保元年藩の収入一万三千余両が、七千百余両で半額に近い状態であったという。これを必要に応じ豪農や豪商に課し、その代償として苗字帯刀を許したのである。