つぎに講による収奪があった。たとえば高割講とか返済講とか両得講・融通講・五百両講・百両講とか種々の名目のもとに講に強制加入させ、零細な金子を吸収するのである。高割講とは田地高についていくらと割り付けるもの、返済講とはいわゆる取抜無尽で抽籖にあたれば金子を受け取り脱退することができ、その後は掛金をしなくてもよい仕組になっていた。その口数も文政九年三口、同十一年五口、同十二年九口、天保元年六口と増し、講金の収入も文政十二年千五百両、天保元年三千百七十七両余、同二年五千百十二両余、同三年七千四百八十一両余、同四年九千九百八十二両余と急増している。