貧富の差

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 浜松領有玉下村の持高をみると、享保十年(一七二五)五百十三石九斗二升五合で、このうち同村庄屋高林家の所有高は百二十一石余におよび、これにつぐ高持百姓は二十七石余が一戸あるに過ぎない。これに対して全体の五一%を占める四十四戸はわずか三石以下の小農で、しかも二十一戸は一石以下の零細農である。ところが七十八年後の享和三年(一八〇三)には同村の持高五百十七石二斗五升のうち、高林家は百五十八石に達している。これを享保十年と比較すると、村全体の持高はさして増加していないのに、戸数は百三十四戸に増加している。【零細農】また五石以下の小農は全体の八二%を占め、さらに一石以下の零細農は倍増している。この傾向は時代が下るほどはげしく享和三年から三十年もたたない文政十三年(一八三〇)には高林家の持高は居村内の小作預米二百八十三俵のほか東畑屋村ほか七か村内にも小作米を所持し、その合計五百十七俵余に達している。
 
享保10享和3
   
10011
25~3011
20~2500
15~2030
10~1503
5~102019
3~51718
1~32350
0~12142
86134