目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第二節 浜松藩の財政窮乏と農村の疲弊
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変わりゆく農村
生産力の低下
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また農村人口の流出は、農村の生産力を低下させる原因にもなってくる。文政十年(一八二七)六月忠邦の和歌の師として上京を求められていた高林方朗(みちあきら)は「旧来所持仕居候御田地、近年村内衰微仕、作付不宜、下人召遣手作仕候へとも、猶兼行届痩地勝にて年々下作見分仕候場所も多、其外諸事之差配忰一人にてハ手廻り兼」と辞退している。