寛政十一年(一七九九)八月五日松嶋村に騒ぎがあり、五人が逮捕され江戸送りとなっている。おそらく小作争議だったろう。【三方原】また文化十三年(一八一六)十二月十五日、二十九か村の小作人が三方原に集合し、天竜川の洪水による減租を要求している(『有玉村高林家諸用記』)。ついで天保五年(一八三四)三月には羽鳥村・白鳥村などの「小前がさわぎ」名主宅へ押しよせているし(『松島家文書』)、翌六年十一月には高林村庄屋と村方農民とのあいだに「故障」が起きている。広蔭のいう「世につれ人々薄情に相成、人情を払候気分に相成候故、重立候家段々勝手方六ヶ敷」(『変化抄』)時代となってきたのである。