天保二年 天保三年

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 このような農村の疲弊に拍車をかけたのが、いわゆる天保の飢饉であった。
 文政十三年(天保元年)七月には浜名湖北岸の三ケ日方面に「浜名おかげさわぎ」があり、なんとなく世情不安であったが(『三ケ日町史資料』第四輯)、天保二年も気候が不順で、三年になると三月五日飢饉の前兆のごとき霰(あられ)をまじえた雷鳴があり、やがて七月には旱魃がつづき、有玉下村ではこの年の納辻七百三十一俵のうち百七十一俵余が不足となったので、十一月米問屋で御用達の本魚町若森長右衛門と同町池田庄三郎・神明町木綿屋権左衛門から購入して納付している。