天保四年 天保五年

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 同四年は蝗(いなご)害のために稲が不作となり、翌五年には米価が一升二百文に急騰した(『西伝寺文書』)。その五月には有玉下村市場の秋葉灯籠に、恒武村仁右衛門が笠井丸一屋惣太郎・松屋徳三郎・上石田村彦左衛門・下石田村常蔵らを手先として近郷の米を買い占め御廻米と称し三千俵を積み出すという風聞だが、町屋へは御下米もあるというときに時節柄をわきまえない行ないである。【不穏な世情】これを許せば米は高値となるばかり、「一同及渇命候儀無覚束候ニ付」近日三方原に集合し仁右衛門を糾明、買占米を家財ともに奪いとって常備しよう、と貼り紙する者も現われる始末であった(「有玉村高林家諸用記」『浜松市史史料編三』)。