検見の緩和

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 忠邦は江戸にあって、かねてから浜松領の農村の困窮状態を憂慮し、天保三年五月には従来の歩横目(かちよこめ)のほかに新しく廻村方を任命し、よく民情を視察するように命じたが(これは農民の反感をおそれ翌月中止)、翌四年八月には六手代官所の歩横目の見廻方を緩和し(一日一人一か所)、さらに五年十二月には歩横目の人選は四十歳以上の老練な人物を選ぶよう藩庁へ指令している。また検見(けみ)の日数も短縮し簡素化するように命じたり、また犯罪についても逮捕は慎重にするよう通達している。人心の尖鋭化するのを危惧したからであろう。【六手代官】六手代官所(陣屋)とは長上(ながかみ)郡丸塚村・同郡有玉下村・敷智(ふち)郡入野村・同郡三嶋村・同郡三ケ日村・豊田郡小嶋村の領内六か所に設けた藩庁の出先機関である(代官一名、手代二名)。