【倹約】遠州地方には文政二年(一八一九)に「御公儀様御触」により「遠州一ヶ国申合倹約取締令」がでている。その内容は、同年十一月から諸職人作料をはじめ人馬駄賃銭・男女奉公人の給料など「都而商物二割下ゲ」を主軸とし、初凧の寸法・雛代金・七五三振舞・嫁取聟取の服装・銭別金・日待や講・仏事・日常の酒宴代・下駄(げた)日傘(ひがさ)など贅沢品の制限または禁止を命じ、一般の日常生活を規制することが主となっている。この趣旨により、伊場村ではこの月村役人が協議して村の実情に即し「村方倹約并取締箇条」を申しあわせている。【風儀 勤労】これをみると、嫁取には酒披露の取止め、聟披露は中(中層階級)以上銭三百文、中以下百文、聟養子披露は中以上五百文、中以下三百文、若者披露は中以上三百文、中以下二百文、寄合の時刻厳守と遅参無参の取締り、石代とか扶金とか取立物の期限厳守、若者の夜間長遊の禁止、博奕(ばくち)の禁止、他人の屋敷に侵入し果物を無断採取することの禁止、銀ぎせる等贅沢品の使用禁止、往還稼ぎや町方へ出て日雇儲けを抑制し農事に専念することなどの細則を定め、住民全部が請印をしている(『文政二年伊場村倹約取締』)。
こうした生活の統制令は天保飢饉前後から矢継ぎばやに通達されるようになってくる。つぎに『有玉村高林家諸用記』に記載された主な触書について述べよう。