目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第三節 水野藩の藩政改革
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増産と興産
新田開発
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水野藩の殖産興業政策についてはみるべきものがすくない。
新田開発の例には佐鳴湖(佐鳴浦または入野池ともいった)岸の「三つ山」の開墾がある。この山はかつて浜松城主青山和泉守忠雄が貞享(じょうきょう)元年(一六八四)風雅の一日を過した風光明媚の地であるが「にいはりの田いできて、そのさまかはりける」と『変化抄』の著者は伝えている。また天保五年五月には「宇布見前舞坂浦」に新田を計画して、水利の問題で村民の反対にあって「御見合」となっている。