海岸警備案

333 ~ 333 / 686ページ
 忠邦は文政八年浜松逗留のさいも海防にそなえ、わざわざ天竜川口を視察しているように(『浜松告禀録』)はやくから国防について危惧の念をいだいていたが、このころになると江戸藩邸においても軍事教練の実施をしたり大砲の鋳造を行ない軍備の充実に力をそそぐとともに、かねて浜松藩庁に作製を命じてあった領地海岸警備案に対し時代に即した改訂を加え、本格的の軍事改革に着手しようと決意した。