【組織】これによると、藩がもっとも力をそそいでいるのは海防の備えで、在藩家臣団を先手備組・二の手備組・留守居組の三手に分かち、先手および二の手の両備組が直接に領内の海岸警備を担当し、その編成は両備組のいずれも本隊(先手三百六十九人、二の手三百七十七人)・大砲隊(各百八十六人)・輜重(しちょう)隊(各百三十七人)から成り、両備組とも大砲隊は大砲四挺・砲烙筒三挺と助銃三十挺の装備を持っていた。【区域】また警備区域は先手紙が天竜川東岸、二の手組が西岸の藩領とし、さらに各番手に分かれて担当するようになっていた。たとえば二の手紙の一番手は松嶋・西嶋・福嶋・江之嶋海岸、二番手は法枝・米津・新橋・堤・小沢渡海岸、三番手は白羽・中田嶋海岸を持場としたのである。
【防備】また海岸についても、一例をあげると中田嶋・白羽・田尻・米津・法枝・新橋・堤・小沢渡の八か村の海岸は、東西およそ五十町余、砂丘があって海上の展望がよい。だから一旦有事のさいはこの砂丘に乱杭を打って備えとする。また海の深浅を測ると岸から三、四町沖までは深さがおよそ二、三尋、これから一里(四キロ)ほど沖になるとおよそ七、八十尋、二里沖は百三、四十尋で遠浅だから大船の接岸は不可能だが小船では上陸ができる。しかし、この付近は遠州灘で波が荒いのが自然の天険である。それに加うるに海岸の後方五、六町の位置に汐除の堤防が三層ある。これを足溜りとして敵を迎え討つ。しかもその背後五、六町は池や深田が多い。よくよくこの地形の利害を研究して対策を立てるべきである、と述べている。
【遠見番所】つぎに常時「遠見番所」という海岸監視哨を設けることを提言している。その候補地は中平松村、岡村と西平松村の村境、西村または向金折村、石原村または頭陀寺(ずだじ)村、福嶋村・三嶋村・米津村・伊場山の八か所で、総受継箇所として寺嶋村をあげ、村民に命じ早飛脚や号砲・狼煙(のろし)で急報させるのである。
【台場】さらに発砲に利便な海岸をえらんで台場を設けることの必要を説いている。そして塩新田から西平松村、松嶋村から江之嶋村、中田嶋村から小沢渡(こざわたり)村にいたるあいだの四か所を予定している。
【河川】また河川についても、いざという場合は天竜川に石を満載した船を沈め、松嶋から江之嶋のあいだに氾濫させることや、芳川・馬込川をあるいは堰止めあるいは切り落し、要害を増す構想であった。
【仮本陣】こうして天竜川東岸では仮本陣が小嶋村正眼院に、西岸では三嶋陣屋に設置され、総指揮をとることになっていた。