弘化二年(一八四五)十一月水野氏の山形移封とともに、奥州棚倉から新領主井上氏が浜松に来ることとなった。水野の家中は翌三年五月晦日までに屋敷を引き払い浜松の町々へ分宿したが、閏五月七日に浜松城の引き渡しが終わると山形へ出立しはじめた。【仮役所】しかし、家老拝郷縫殿は神明町の小西四郎兵衛宅に、そのほか秋元天兵衛は笠井屋善八、用人清水帯刀は川合屋惣兵衛、仮奉行大道寺源内は神明町木綿屋権左衛門、町郡奉行山川伴蔵は田町孫兵衛、留守居山中勘解由(かげゆ)は神明町木綿屋卯兵衛、物頭呼子平右衛門は板屋町足袋屋源助宅に町宿をとり、田町の永林寺(浄土宗玄忠寺末、明治六年廃寺)と神明町の玉屋源右衛門宅に仮役所を設け、郷村引き渡しの立会に備えまた残務の整理にあたっていた。
遠州浜松騒動記(浜松市三組町 内田六郎氏蔵)