主謀者詮議

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 藩では翌十一日から村々に間者を入れて主謀者を探索したが、いずれも口を拭って語るものもなく、わずかに被疑者五名を逮捕したばかりであった。そこへ閏五月二十三日ごろにはアメリカ船が遠州灘に現われるという注進があって藩役人右手が廻らず、ついつい吟味もそのままになってしまった(このとき水野家は松嶋、井上家は米津海岸を警備した『舞阪町史』史料編一)。当日の難をまぬがれた他の勧農長庄屋も、明日はわが身かと家財道具を親戚縁者に預け置き、夜半の嵐にも不安やむときがなかったという。