処置に窮した水野家はふたたび井上家に調停を依頼し同家の仲裁によって、相続金は利付で永続金は無利息でいずれも七か年割賦で完済するということで和談が成立した。もしこの借財を返済すれば水野家中の者の山形へ赴く旅銀にも差しつかえる状態だったという。証文は三通のうち一通は水野家郡奉行から井上家郡奉行へ、一通は水野家代官から井上家代官へ、一通は水野家仮役所から寺嶋八幡地へ手交し、たがいにこれを保管することとし、危うくことなきを得たのであった。こうして水野家の退去は最後まで紛糾がつづき八月八日から九日にかけて全員が山形へ引揚げたという(『破地士等窠』『浜松騒動記』)。