井上藩の浜松領の受けとりは、弘化三年(一八四六)八月五日に行なわれた。領内村々より参集した村役人たちの眼前で、水野藩役人より中泉代官に郷村を返し、即刻その場で、代官の手から井上藩役人の手にひき渡しが完了された。あくる六日には領内のおもだった庄屋たちは、井上藩の郡奉行や諸代官・手代・同心など村方支配の役人たち十九軒を歴訪して、郷村うけとりの祝辞をのべた。この際いくらかの祝いの金品のたずさえられたことはもちろんであるが、村々からは特別に幾俵かの米が祝儀として贈られた。【移封の喜び】当時の井上藩士の手紙によると、大洪水でまったく不作の館林は外の大名にゆずり、豊作の浜松に入ることのできた幸運をことのほか喜んでおり、このことからもうかがわれるように浜松領の村々は水野藩の苛政のもとで多量の年貢米を出しながらもなお数俵ずつの米を贈る余裕をもっていたのである。それだけに浜松領の民衆は、二度目の領主井上藩に大きな期待を寄せていたということができるであろう。