御用金返済要求

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 またつぎのような要求もある。【水野藩】弘化三年の五月、水野藩は国替の費用として、領内の農商から巨額の金を借り、返済期日の弘化四年三月がきても、元利とも一切返金しないばかりか、なんらの挨拶もしなかった。そのため御用金の調達にあたった村役人たちは、出資の金主からきびしく返済を迫られ、面目を失った。九月となり十月を迎えても、水野藩からはなんの連絡もない。ようやくあざむかれたと気がついた村役人たちは、借金証文に署名した水野藩勝手掛用人清水帯刀と元締の水谷相馬が、六月中に上方にむけ浜松宿を通過したのを察知した高林・畑屋・中条・上嶋・佐藤・篠ヶ瀬・橋羽等二十四か村の村役人は、連署して井上藩に訴え、水野藩役人との交渉許可をえた。しかし水野藩役人は一向に姿をみせず、このうえなお等閑にされては資金調達のため質物とした父祖伝来の田畑も失われる。そうなっては大変だから井上藩がこれらの点を格別に考慮されて、大名同志の話しあいをもって、元利とも返済させてほしいと要求した。この結果は不明であるが百姓一揆の圧力を背景として、きびしく要求が出されたのである。