さらに当時の浜松領内の状況をうかがうことのできる一事件をしるしておこう。井上藩が浜松にきた当初に代官を勤めたのは、海老沢孫左衛門・清水助次郎・相曽幸次兵衛の三人であったが、弘化五年(嘉永元年、一八四八)正月七日夜のこと、代官の清水助次郎を排撃する張り紙が、浜松城の大手門や馬込の木戸に張りつけられた。張り紙には清水助次郎は賄賂をとって依怙(えこ)ひいきしており、これでは領内は治まらない。代官の身柄をもらいうけて自由に処分したい。この要求にたいして回答がなければ、野山へ多数寄り集まって評議するつもりだ、というのである。早速村々に詮議の手がまわされたけれども、何者のしわざであるのか、全然手がかりはつかめなかった。