[浜松藩の海防問題]

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 井上藩が弘化三年(一八四六)閏五月七日、浜松城をうけとって間もない同月二十三日、アメリカ東印度艦隊司令長官ビッドルのひきいる軍艦二隻が遠州灘にあらわれた。【米津浜警備】井上藩は水野藩よりの郷村受領は完了していなかったが、吉田(豊橋市)藩と動員した浜松南部の農民の協力をえて米津(よねづ)浜警備に出兵した(『浜松市史史料編四』)が、黒船は彼らの眼前をゆっくりと東へ去っていった。掛川の太田藩や横須賀(小笠郡大須賀町)の西尾藩も、それぞれ領内の海岸警備に出動したので、一般民衆にもかなりの影響を与えたことであろう。こうして井上藩にとっても海防の必要は切実なものとなっていった。