「欧邏巴洲中之日本ニ劣りたる事と長したる事とヲ能〻弁別為致、其短を補ひ国家ヲ強くし万世不朽之備こそ願ハしく、一途ニ西洋ひいきなると火砲ヲ恐るゝと、又覚悟もなく異国ヲ嘲ると、彼の神風之事なとハ止メニ致し貰い度もの哉ニ奉存候」(弘化二年三月十九日付『善伸宛書翰』)とものべ、不合理な神がかりを排し科学的な富国強兵の方策をもとめていた。【大砲 硝石】そのためには外国軍艦を打ち破る大砲を得る必要があるとして、播州領内の蘭学者(村上代三郎)に命じて、硝石の製造に着手した。【蘭学】また弘化三年には、十九歳の長男新三郎と十七歳の二男貞次郎を大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の塾に入れて、蘭語を学ばせて、みずからすすんで海外の新知識をえようとした。【西洋兵学】こうして二年後嘉永元年末か二年初ごろ、この二人を九州へやり、西洋砲術を学ばせた。当時長崎には高島秋帆(たかしましゅうはん)の名が高かったからであった。