安政二年三月、幕府の出した毀鐘鋳砲令をうけて、浜松井上藩寺社役所から同様の趣旨の触が出された(市川家文書『手控』)。それによればこのたび幕府より諸国の寺院の梵鐘を大砲小銃に鋳かえるよう仰せ出された。これは軍事力を充実させようとの趣意であるから、この外銅鉄は勿論、鉛や硝石などの材料を節約して、代用品でまにあわせること、まして銅鉄をもって仏像や仏具を作ってはいけない、というのであって、この廻状に慎んでおうけするとの請印を捺させた。こうした村々の寺社にも鉦や梵鐘の数量を書き出させた(『市川文書』)。こわれた鍋釜類の買上げも毀鐘鋳砲令に先立って当然進められた(「寺社御役所御触書写帳壱」『市川文書』)。