編成と配置

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 神主の弓の訓練はなおつづき、八月十五日八幡宮において、奉納弓射会を興行したりして組織を保った。この神主弓隊は、はたして何名くらいで構成されていたものであろうか。まず四月十一日ごろは、少なくとも九十名の神主にあて寺社役所の通達がだされた。世話方の神主は九名でそれぞれ世話方一人につき約十名の神主を配置した。【地域】地域は天竜川以西、浜名湖北の三ヶ日までをふくむ全井上藩領域にわたる構想であった(『市川文書』)が、四月十六日には『高林家日記』によると「都合四十一人」とあって、いちじるしく減少している。安政二年九月十九日付名簿(高林家文書『社用秘録』)によると、世話方四名にそれぞれ九名ないし十一名の神主をつけて四組の編成とし、四十四名をもって一隊を形成している。別に弓術教師の二名を加えてつぎのようになっている。
 
世話方
 八幡村     助信村     伊庭村     三島村
  金原上総    白尾藤左衛門  岡部治郎左衛門 土屋左門
 中田嶋村    白羽村     浅田村     入野村
  大石能登    宮松七郎左衛門 小池五太夫   小田木休五郎
 若林村     宇布見村    薬師村     植松村陰陽師
  内田六丘衛   渥美四郎左衛門 鈴木権兵衛   熊岡大和
 世話方共  〆 拾弐人
 
世話方
 羽鳥村     笠井村     同村      上大瀬村
  松島右門介   山下佐次兵衛  神谷平三郎   名倉土佐
 恒武村     万斛村     高畑村     水嶋村
  田辺隼人    鈴木主水    山田丹波    今村市右衛門
 白鳥村     同村      東美薗村陰陽師
  高橋能登    笹田日向    小林山城
 世話方共  〆 拾壱人
 
世話方
 万斛村     小池村     同村      天王村
  鈴本弾正    須貝丹後    間渕小源太   石津出雲
 西ケ崎村    同村      有玉村     橋爪村
  吉田相模    吉田越前    高林左仲    村木美濃
 同村      有玉村     下堀村
  本間伊豆    小木左京    竹山銀左衛門
 世話方共  〆 拾壱人
 
世話方
 有玉村     同村      同村      同村
  高林左衛門   畑屋宮内    高林右内    鈴木左近
 同村      同村      同村      同村
  内山式部    高林日向    源馬因賻    源馬石見
  同村     同村
  源馬寅蔵    黒田常陸
 世話方共  〆 拾人
 
四祖人数四拾四人  世話方共
 外ニ 竹山孫左衛門
    竹山平左衛門