水野藩の加免

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 水野忠邦が城主であったときも、幾度か加免といって税率が高められ、年貢は厳しく徴された。不作のため年貢米をはらえないときは、他所より借金してでも年貢米をはらわされた。弘化四年(一八四七)十一月に有玉下村では文政五年(一八二三)の年貢を皆済するために借りた金が、二十五年目を迎えてもまだ返すことができないので、証明ため井上藩の裏印を願い出ており(『浜松市史史料編三』)、いかに水野藩政下での収奪が厳しく、返済の余裕のなかったかがわかるであろう。