禁令通達

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 これは高林文書『諸用記』等から知られる嘉永七年(安政元年)までの禁令・議定のすべてであるが、一見していかにくりかえし同様の通達が出されたかがわかるであろう。これは禁令が十分によく守られなかったことを示している。【若者組取締】とくに若者の行動に関する取締りは執拗(しつよう)にくりかえされた。四月の凧あげといい、七月の大念仏などは、若者への藩権力のきびしいたび重なる干渉にもかかわらず、若者とそれを支持した領民によって、催しつがれたのであった。若者にたいする取締りは、たんなる風俗華美ということだけに理由があったのではなかった。若者が自村の境域をこえ、他村の若者との協力団結の組織として、領民たちの行動力の中核をかたちづくっていることを警戒したものであった。
 また上表(1~12)の禁令や議定が、一見してあきらかなように井上藩の浜松入封以来、一様に平均的にだされたものでないことも、若者たちの行動性を警戒せねばならぬ領内情勢を反映したからであったといえよう。すなわち禁令は二つのピークをもって出されている。第一は弘化四年から翌嘉永元年にかけての時期であり、第二のそれは嘉永六年から七年にかかる時期と指摘することができるであろう。
 
番号年月内容
1弘化4.7大念仏停止,太神楽も40日以前に届出
  弘化3年の一揆に関係ある村は太神楽も禁止
2〃9若者組禁止,節句・吉凶につけ奢侈禁止
3〃11博奕・買物・遊興自粛申合せ
4嘉永元4若者組取潰,連判状提出を命令
5〃2.2華美の大凧禁止
6〃5.3村八分・徒党禁止
7〃4紅地大凧ならびに飲食禁止
8〃6.4木綿以外着用不可
9〃7.1村々5か年倹約議定
10〃25か年倹約につき勧化,村継人足,施物拒否
11〃3村八分・徒党禁止,奢侈禁止,凧3尺4角
12〃8神楽・子唄・手躍・物真似を質素に他村見舞禁止
(高林家文書『諸用記』による)