また上表(1~12)の禁令や議定が、一見してあきらかなように井上藩の浜松入封以来、一様に平均的にだされたものでないことも、若者たちの行動性を警戒せねばならぬ領内情勢を反映したからであったといえよう。すなわち禁令は二つのピークをもって出されている。第一は弘化四年から翌嘉永元年にかけての時期であり、第二のそれは嘉永六年から七年にかかる時期と指摘することができるであろう。
番号 | 年月 | 内容 |
1 | 弘化4.7 | 大念仏停止,太神楽も40日以前に届出 |
弘化3年の一揆に関係ある村は太神楽も禁止 | ||
2 | 〃9 | 若者組禁止,節句・吉凶につけ奢侈禁止 |
3 | 〃11 | 博奕・買物・遊興自粛申合せ |
4 | 嘉永元4 | 若者組取潰,連判状提出を命令 |
5 | 〃2.2 | 華美の大凧禁止 |
6 | 〃5.3 | 村八分・徒党禁止 |
7 | 〃4 | 紅地大凧ならびに飲食禁止 |
8 | 〃6.4 | 木綿以外着用不可 |
9 | 〃7.1 | 村々5か年倹約議定 |
10 | 〃2 | 5か年倹約につき勧化,村継人足,施物拒否 |
11 | 〃3 | 村八分・徒党禁止,奢侈禁止,凧3尺4角 |
12 | 〃8 | 神楽・子唄・手躍・物真似を質素に他村見舞禁止 |