治安対策

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 第一の時期は井上藩が入封してただちに弘化三年の一揆と、それにつづく領民の種々の要求に示された藩政へのするどい批判と行動のエネルギーを、分断解消することを急務としたときであった。そのため弘化三年の一揆が水野藩にたいしてなされたにもかかわらず、その主謀者の詮議は井上藩の手によって引きつづき行なわれ、嘉永三年まで継続した模様である。藩は一揆については詮議の厳しさを示威しただけで、具体的には何らの成果もあげることなく、嘉永三年十二月、一揆の詮議をうち切らざるを得なかった(『高林家日記』)が、藩は郷村におこった不穏の動きにたいして、極力これを分断解消させるべく、このころまで農村対策に手をつくしたのであろう。